2008-04-01 第169回国会 参議院 厚生労働委員会 第3号
非常に自由濶達な意見が出ておりますので、まさに国民会議の名にふさわしいと思います。 〔理事家西悟君退席、委員長着席〕 そういう中で、私の分野でもありますので、社会保障は、全力を挙げて事務局もみんなこれを支え、私も自由に意見を述べさせていただいていますので、その成果をきちんと出るような形に努力し、また協力をしてまいりたいと思います。
非常に自由濶達な意見が出ておりますので、まさに国民会議の名にふさわしいと思います。 〔理事家西悟君退席、委員長着席〕 そういう中で、私の分野でもありますので、社会保障は、全力を挙げて事務局もみんなこれを支え、私も自由に意見を述べさせていただいていますので、その成果をきちんと出るような形に努力し、また協力をしてまいりたいと思います。
一方で、先ほど内閣府の方から御答弁ありましたように、正にワーキンググループにおいては自由濶達な議論だということでありますので、私ども、機会があればきちっと説明してまいりたいというふうに考えております。
その理由は、やはり自由濶達な議論もしていかなければなりませんし、先ほど申し上げましたとおり、ある程度いろんな方々を、関係者、聞き取り調査をしなきゃならないと、そういうものをそのまま原則公表という形で出すわけにはなかなかいかないであろうということでありますが。
ここは道徳教育研究会じゃございませんけれど、是非そういう教師の自由濶達な議論、そのための条件づくりを議員の皆さん方にはお願いしたいと思いますね。
やっぱり自由濶達な議論、そして、別に文科省だけに限られたような問題だけで教育の問題というのは語れるわけではないので、幅広い立場で議論をいただいている。根っこはやはり総理の問題意識、政治家としての考え方が示されている、その中で議論が行われているというふうに考えております。
○副大臣(林芳正君) まず、手続については、先ほど来、委員の御指摘にお答えしているように、自由濶達な議論とそれからデュープロセスというのはきちっと精査をしてやってまいりたいと思っております。
○副大臣(林芳正君) 先ほど来繰り返しの御答弁になりますが、自由濶達な議論をしていただく、タスクフォースとしての意見を出すと、このこと自体は私は否定をされるべきものではないと思っておりますが、最初に申し上げましたとおり、政府として今御提案をして審議をいただいております法案、その法案についての政策の方向というものと、これ正式なタスクフォースということになりますと、全く違った方向であるということは、先ほど
○副大臣(林芳正君) 委員会の冒頭に発言をさせていただきましたけれども、そのときに申し上げましたように、本来ここの会議というのは、有識者の皆様にお集まりいただいて自由濶達な御議論をいただくという場でありますが、しかしながら、この規制改革会議という政府の会議で正式なタスクフォースということでございますので、現在この政府全体として提案をさせていただいている法案について、今委員が逆の方向とおっしゃいましたけれども
私たち国会議員は、この憲法の精神に基づいて民意を国政に反映させるべく自由濶達な政治活動を行ってまいった、私もそのようなつもりでおります。 現憲法は、国家の主権が国民にあるということを宣言して、日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し云々とあります。つまり、主権が国民に存することを宣言をしておるのが現憲法であります。
よって、主権者たる国民として自由濶達な意見表明や議論を保障されなければなりません。当然のこととして、国民投票に関する運動規制は投票事務の公正さを担保するための必要最小限度の者等に限るべきです。職員団体による組織的な運動などで公務の中立性に悪影響を及ぼす者については公務員法上の信用失墜行為の禁止などに関する規定によって対応可能であり、民主党案もこれまた合理的なものと考えます。
法案の中では、適用が想定される事例として、憲法改正の賛否への勧誘が特定の公職の候補者を支持するなどの政治目的を持つ場合などが挙げられていますが、そういう極端な例を持ち出して適用の可能性を残しておくこと自体が自由濶達であるべき国民投票運動の意義を損ねることを恐れます。 第百九条の組織的多数人買収利害誘導罪の規定もあいまいさがあります。
これでは、主権者による自由濶達な国民投票運動を萎縮させることのないよう規制を最小限にすべきであるという共通認識を葬り去ろうとするものと言わざるを得ません。 このように与党案は、これまでの衆参両院における議論の積み重ねを踏まえているとは到底言い難いものであり、民主党の考えと与党案の間には厳然たる相違点が存在しておりますので、民主党独自の対案を提出することとした次第です。
そこまで規制するということは、先ほど申しました自由濶達な議論というのが保障できないではないかと。ただ問題は、そのときにメーンのキャスターがまとめて、トータルこうでしたよねというようなところまでは、それは許容はできないであろうというふうに私個人的にはそう思っております。
これが多分日本の特色なんだろうと思いますが、そのことを考えてくると、むしろこれができませんと書いてもらって、それ以外はできるという形にしてもらった方がより自由濶達に活動ができるんじゃないのかなと、そう思いますけど、いかがでしょう。
衆参の論議の基調に流れていた考え方は、憲法改正手続は、人を選ぶ選挙とは違う、できるだけ自由濶達に、そして、できるだけ多くの人に参加してもらおうといった考え方でした。しかし、修正合意がまとまらないと見切りを付けたら、あっさりと基本方針を簡単に転換してしまう。正に衣の下のよろいを露骨に見せ付けられた瞬間でもありました。
情報通信の世界は、いかに自由濶達にその能力を伸ばしていくかというところが極めて大事でありますから、怒られちゃうところに向かってこういうのをやってくれという、恐る恐るということでない方が私はいいんではないかというふうに思っております。そういう視点で情報通信省構想を私自身はとらえております。
技術立国日本、先端産業開発の国日本、あるいはたくみの技の日本の評価が落ちるようなことがあってはならないと思いますし、競争社会の中で自由濶達な民間のエネルギーが発揮できるような規制緩和は大いに進めて、そうした中で安全にかかわるようなものはしっかりと従来以上に守っていくと、そういう複眼思考が大事だと思っております。
すると、子供たちとしては、自由濶達に表現するのではなくて、むしろ評価で良い点数を取るために様々な無理をしなければならないんじゃないかということを危惧します。
今日もいろんな意見がありましたけれども、むしろ僕は、参考人の間で、ここで自由濶達な議論をして、皆さんに聞いていただいて、本当に対立があるのか、あるいは一致できる点はどこにあるのかということを丁寧に議論をしていけば、問題は意外と決着、要するに到着点は簡単に見えるんじゃないかというふうに思います。
○赤松(正)議員 先ほども他の委員に申し上げましたけれども、人を選ぶ選挙とそれから国家の基本的なあり方を選択する国民投票、こういう大きな違いがあるというふうにまず考えておりまして、国民投票運動は主権者である国民の政治的意思の表明そのものでありますので、国民一人一人が萎縮することなく自由濶達な意見を闘わせるということが必要だ。
第三に、信頼を得る源泉となります自由濶達で活力に満ちた銀行づくりをすること。この三点でございました。お客様、株主、市場、従業員から最高の信頼を得ることが新銀行、三井住友銀行の経営理念でもございまして、私もこれを目指して経営に当たってきたつもりでございます。
そして、その中身について非公表の部分が多いということにつきましては、先ほど申し上げましたように、相手国との関係、外交的機微にわたった議論もしていこうということもございますし、その中で自由濶達な議論をしていくことによって初めて戦略的なこれは議論も深まっていくのではないかと、こういうことでございます。